遠くへ・・・・・

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気がつけば、遠くを見ていました。
なぜか、小さな頃から遠くが好きでした。

仰ぎ見る故郷の山。
恵那山はどこからみても美しかった・・・・・

そのうちに、あの山の向こうに何があるんだろうと想像し、小さな胸は未だ見ぬ家々や景色を思い描いて、果てることがありませんでした。

学校で地図の見方を習ってからは、暇さえあれば・・・というか、飽くこともなく地図に見入ることが多くなりました。
そのうち、父に連れられて、車で国道を北上したり、隣の県や、少し先の観光地などにも行くことが出来るようになると、地図と実際が合致して、ますます、その向こうに、関心が移っていき・・・・

まったく、小さな頃からそういう見方を続けてしまうと、心ならずも結婚を機にあちこちと転居しまくったことでさえ、未知の場所に対する恐れや心細さに惑わされずにすんだのも、こんな癖のせいだったような気がする。

中学校の部活でバレーボールを選び、三年間、空中運動場みたいなところで、汗を流しました。その運動場からは、北東に大きく雄大な恵那山が裾を流してい、ほぼ反対側にはこじんまりと、清楚な姿をした笠置山がみえました。

ボールのムコウに恵那の山並み、その左のずっと奥には北アルプスが連なっているのも見えていました。360度のパノラマに抱かれて大好きなバレーボールにうちこめた三年間は、至福の時でもありました。

もちろん、受験や(昔はなんと、9科目もあったんですよね、)家庭のもろもろのあつれきなど、どこにでもある普通の事柄も日々の日常のなかにありましたけれど、それでも至福の期間だったと思います。

高校の校庭は、中学よりも平地に近く、眺望の点では劣りましたが、それでも、恵那山は相変わらずその姿の半分はみることができましたし、笠置山はより近くになったせいもあって、うんと大きく見えていました。

高校でも相変わらずバレーボール部で、二年生からは9人制から6人制へと大きく変わりましたが、練習は外。膝っ小僧は土にまみれ擦り傷が絶えませんでしたが、澄み切った大気のなかで、沈む夕日につれて夕暮れが様々に変わる景色に見守られながらの練習は、ちっともつらくありませんでした。


今も相変わらず遠くを見ます。

富士山は日に日に白い冠の面積が少なくなり、今は、かろうじて頂上付近に筋を引いて残るだけの姿を、見せてくれています

朝は、起きたばかりのみほろを抱っこして。

夕方には、雲に太陽のかけらをまき散らしながら沈んだ後もそのくれないの色で様々に雲を染め上げながら闇に入っていく様子を。
そして、とってかわるように現れる宵の明星・・・

惑星をじっとみていると、次第にその近くにある小さな星の光も見ることができるようになります。
ほんの小さな、あるかないかの、またたく光。

目をこらすと、漆黒の天井には多くの瞬きがあります。
そのいくつかのまたたきは、半年前には見ることができなかったものです。ずっと見続けているうちに、自然にたくさん見ることが出来るようになったと言うだけです。

だから・・・・

小さな希望でも、諦めないで持ち続けようと思います。
山の向こうに、そして星々のムコウに思いを馳せながら。

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