夏の便りと・・人のこころ
京都のお菓子処「老松」さんの〝夏柑糖〟が、今年も早々とY先生から届きました。
さっぱりした、涼味あふれる夏みかんの寒天寄せ。寒天なので歯切れも良く切り口もスパッとします。今朝、夫と2人でいただきました。
ご馳走様!
今朝はいつものヨーグルト、作りませんでした。作っても寝坊した孫は何も食べずにすっとんでいったので、丁度良かった~
昨夜、夕食を孫と二人でとっていたときに些細なことでケチを付け、あげくに屁理屈で人を貶めた。こういう愚にも付かないへりくつをこねる孫の口が憎らしくて、翌朝用のヨーグルトをつくらなかったというわけです(ё_ё)
そろそろ15歳、りっぱな屁理屈をこねるまでに成長しました。もちろん時々です、毎日やられたらたまらないですもん。
屁理屈。いいでしょう。頭が回っている証拠ですから。ただし、回し方が問題です。そんなことに回す努力なんていりません。しかも年長者を貶めるような言い方には、我慢がならない。いくら孫でも許されませんよ。
家庭でこのありさま、学校ではどうなんでしょうか。いいかげん先生にもため口きいていたりするんでしょうか。そんなとき、先生は注意しないのでしょうか。同じ横並びの会話なんでしょうか、よくわかりません。
もちろん家では何度も何度も、口のきき方がなっとらんと叱り、訂正させ、注意してきました。それでもまだこんな調子。もう、げっそりします。
言葉の使い方一つで、相手に深い怒りや悲しみを残します。その場でどうしてと問えるだけの関係性がある相手なら、すぐに和解できるでしょうが、私たちって心の奥にがっちりとしまい込んでしまいがち。そして今までの信頼関係を取り戻す努力も放棄してしまう。直接対峙する勇気も放棄。相手の非(それも自分の解釈でけで)だけを責める状態は、決して良い結果を生まない。
人それぞれ。言うは易しですね。でもその意味を深く察するなら相手のことも理解できるはずです。
私たちと孫ですらこんな調子なんです、ましてやいくら近しくても肉親でも親戚でも言うに及ばず・・
ま、こうなたらこうなったで、私はただ待ちます。昨夜も塾へ出かける前に孫が始めて、行ってきます、ごめんなさいと言いました。ほんと、始めて謝った!
言葉で相手を傷つけたなら、まず言葉で謝る。それでまた仕切り直し~
ただ、一概に言葉と言っても難しいです。同じ事でもあの人とこの人の受け取り方は違うから。
って、私は何を今日書いているのでしようね。
以前、すごく近しく準肉親?のように思っていた人に、心ない言葉で(文字ですが)表されたことがあります。以来私の心には氷の刃が刺さったまま。少しずつ溶け始めては居るのですがもう少し時が必要のようです。その原因にしてもやはり言葉のようです。でも言わせてもらえるなら、死の迫っている人の願いに誠実に応えてあげるしかなかった。真実を知る権利は当の本人にあるのですから。そして本人と夫と私の長い歴史の、最終章だったから。
それを非難されたとしても、そうするしかなかったというのが真実なのです。直後の、ホッとした様子、目を閉じて噛みしめている様子、そして最後の私たちへの言葉。いつか知らせてあげたいです。
夏はすぐそこ。南極の氷床もひび割れて溶け出しています。温暖化のせいでしょうが、ましてや人の心だって、いずれは溶けると信じたい。
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