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zoom RSS あなたのいない今を生きる

<<   作成日時 : 2018/06/22 17:49   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

今年の夏、亡くなった母の五十年祭をやるからと義姉から連絡をもらいました。最後のお祭り、法事です。

暑い盛り、体調に気をつけていなければなりません。京都にいる2つ年下の妹に連絡をして、それぞれ孫を連れて参加することにしました。私は並み居る孫6人は到底無理なので、ウチにいる孫一人を連れて行きます。
妹は姪の子供でたった一人の孫を。孫同士初対面!今まではなかなか機会がなくて対面叶わずじまいのまま〜
同じ6年生なのでこちらも、過ぎた年月の長さに改めてびっくりです。

母が亡くなったときのことは、いまでも鮮明です。
私は23歳になったばかり。背中には長女がいました。妹は京都の看護学校3年生、卒業を翌春の春に迎えるばかりでした。弟は、これがまた母の最愛の息子でしたが、医学部を目指して浪人3年目になっていました。
長兄はもう医局を経て静岡県内の病院に勤務。母の訃報を聞いて家族とともにとんできてくれましたが、子供たちの誰一人臨終には間に合わず、父だけが看取りました。

それからの私たち兄弟姉妹はみな、波瀾万丈〜〜
家族の要を亡くしてなにかがぶっとんだみたいで・・・・

それでもみな、歯を食いしばって(誇張でなく)それぞれの人生を渡りました。
母がいたらー
母さえいてくれたらー
どんなに力がもらえたことかと思います。が、すべてうたかた・・・後の祭り。ないものねだり・・・

そんな私たちの母代わりになってくれたのは、母方の祖母。明るくて気丈で信仰心が厚く、柔らかな祖母でした。
それから長女だった母の代わりに実家を継いだ母のすぐしたの妹の叔母。
この叔母にはよく叱られましたね。いわく、お礼が遅いっ∞順番が違う∞生意気(^_^)/=E・・・・などなど
それでも親身になってくれたのはこの叔母と祖母。私が三人の子供を連れて離婚して、パートを経てやっと正規の仕事に就いたばかりのとき、3歳の次男が高熱を出し、保育園も行かれずそれでも休めない・・・そんなとき祖母がお手伝いの人を連れて借家に急行してくれました。翌日も。
あのとき休んでいたら辞めさせられていたでしょう。まだ入社一週間も経っていなかったから。本当に有り難かった。

助けてもらいたかった人はすでに亡く、でもそのかわりにたくさんの人に助けてもらいました。
どんなに嬉しく有り難かったことでしょう。この恩返しは必ず、いつかどこかで、身近に困っている人がいたら恩返ししようと堅く思いました。


そして今。
苦しいときに助けてもらったあの嬉しさを心の糧に生きてきたように思います。
もちろん一番助けてくれたのは夫。お互いに人生のどん詰まりかと思えるような、まっただ中で知り合って、本当はそれどころじゃないのが解っていたのに。これが縁というものなんでしょうか。

よく喧嘩をしました。若気の至りです。
で、今に至ってます(^_^)/

自分のことなど考えてる暇がなかった。明日の食べ物がなかったから。口を開けて待っているツバメの雛がいたので、食料探しの親ツバメのよう〜そんな時代を経て、そして 今に至る。不思議な気分です〜

これから先はいろんなことを忘れて行くでしょう。
まだ思い出す、思い出せるうちが花〜読みぐるしい点はご容赦願います。






















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